もしかして、僕も老害なんだろうか。
48歳になって気づいた、一番怖い老害の正体。
老害って、もっと分かりやすい悪人だと思っていました。
大声で説教する。
「俺たちの若い頃は」と、頼んでもいない昔話を始める。
新しいものを見たら、まず否定する。
頭の上に「老害」と書かれた回転灯でもつけてくれれば、こちらも少し距離を取れます。
ところが先日、友人から聞いた老害は、たった一言でした。
「歌がうまかったら、投げ銭してあげるよ」
悪口ではありません。
怒鳴ってもいない。
言った本人は、応援するつもりだったのかもしれません。
それなのに、なぜか少し嫌な感じが残る。
その理由を考えていたら、もっと嫌なことに気づきました。
もしかして、僕も同じことをしているんじゃないか。
「歌がうまかったら、投げ銭してあげる」
その友人とは、Xで知り合って約3年。
今も定期的に会い、仕事や人生について話す親しい間柄です。
彼女は最近、TikTokで月50万円以上を稼ぎ、ランキングでも1位になりました。
僕なら1位になった瞬間、スクリーンショットを20枚くらい撮ります。
スマホが壊れたときに備えて、別のスマホでも撮るかもしれません。
そんな彼女が、さらっと言いました。
「最近、老害がけっこういるのよ」
僕は聞きました。
「老害って、どんな感じ?」
そこで出てきたのが、
「歌がうまかったら、投げ銭してあげるよ」
という言葉でした。
最初は、そこまでひどい言葉なのかと思いました。
歌がうまければお金を払う。
それだけなら、普通の話にも見えます。
ただ、よく味わってみると少し苦い。
そこには、
「私があなたを評価してあげる」
という空気があります。
応援というより採点。
一緒に楽しむというより、少し高い椅子から審査している感じです。
友人が引っかかったのも、言葉そのものより、その後ろにある空気だったのでしょう。
老害って、結局なんだろう。
僕は言葉の意味が気になると、すぐに考え始めます。
答えが出る前に、散歩の距離だけが伸びます。
老害とは一般に、年齢を重ねた人が、過去の経験や価値観にこだわり、周囲へ悪い影響を与えることを指します。
僕なりに、もっと簡単に言うなら、こうです。
自分の物差しだけで、誰かの可能性を切ってしまう人。
たとえば、
そんな仕事では食べていけない
今さら始めても遅い
普通はそんなことをしない
世の中は、そんなに甘くない
どれも、必ずしも間違いではありません。
本人は心配しているだけかもしれない。
ただ、その心配が、ときどきハサミになります。
本人は庭を整えているつもりでも、相手から見れば、花が咲く前に芽をチョキンと切られている。
老害の怖さは、悪意がないことです。
本人は、自分が正しいことを言っていると思っている。
だから、自分では気づきにくい。
僕の親も、僕の挑戦をほとんど理解しません。
誤解のないように書いておきます。
僕は親に感謝しています。
産んでくれたこと。
育ててくれたこと。
愛情を注いでくれたこと。
ここまで生きられる土台を作ってくれたこと。
それは、本当にありがたいと思っています。
ただ、僕が始めることには、昔からほとんど理解を示しません。
以前ほど、
「結婚しろ」
「真面目に働け」
とは言われなくなりました。
48歳の独身男へ同じ話を続けても、さすがに親も疲れたのかもしれません。
それでも新しいことを始めると、だいたいこんな空気になります。
「お前は、また何をやっているんだ」
YouTube。
SNS。
AI。
Substack。
海外でのTEDx。
親から見れば、僕の人生はずっと謎の新番組です。
ようやく内容を理解したと思ったら、翌週には番組が変わっています。
心配になる気持ちも分かります。
会社へ勤め、毎月決まった給料をもらい、家庭を持つ。
親にとっては、その道の方が安全に見えたのでしょう。
ただ、親の言葉を全部聞いていたら、僕は今の仕事のほとんどを始めていません。
YouTubeで発信することもなかった。
SNSで多くの人とつながることもなかった。
海外のTEDxに立つこともなかった。
Substackで新しい仲間と出会うこともなかった。
親が悪かったと言いたいわけではありません。
親の持っていた地図に、僕が行きたい場所が載っていなかった。
ただ、それだけなのだと思います。
ここまでなら、親の悪口を書く記事でした。
年配者は新しいものを理解しない。
昔の価値観を押しつける。
挑戦する人の芽を摘む。
だから老害はよくない。
おそらく、ここまでは多くの人が予想した結論です。
正直に言えば、僕も書き始めたときは、少しそんな気持ちでした。
ところが、途中で一番怖い人が出てきました。
親ではありません。
TikTokでコメントした人でもありません。
僕です。
僕も、誰かの芽を摘んでいないだろうか。
僕は48歳です。
自分では、まだ若いつもりでいます。
ただ、中学生から見れば、かなり立派なおじさんです。
コンビニで「お兄さん」と呼ばれても、店員さんの優しさだと理解する年齢にはなりました。
そんな僕は、誰かの挑戦を本当に応援できているだろうか。
「面白そうだね」
と聞けているだろうか。
それとも、
「それは厳しいと思う」
「もっと現実を見た方がいい」
「似たことをやった人は失敗している」
と、相手が走り出す前にゴールテープを片づけていないだろうか。
もちろん、何でも無責任に応援すればいいとは思いません。
法律に反すること。
命や健康を危険にさらすこと。
誰かをだますこと。
止めるべき挑戦もあります。
ただ、心配と否定は違います。
助言と説教も違います。
一緒に考えることと、自分の答えを押しつけることも違います。
人は簡単に、応援席から審査員席へ移動します。
しかも本人は、席を移ったことに気づきません。
若い人なら安心、という話でもない。
僕は以前、老害とは60歳くらいからの話だと思っていました。
ただ、年齢だけでは説明できません。
20歳でも、人の夢を笑う人はいる。
30歳でも、新しい技術を頭から否定する人はいる。
成人した子どもが、親の挑戦を、
「その年で何を始めるの」
と潰すこともあります。
逆に80歳でも、
「それ、面白そうだね」
と目を輝かせる人がいます。
スマートフォンを覚え、AIを触り、若い人の話を楽しそうに聞く人もいる。
年上が年下を否定したら老害。
年下が年上を否定したら無罪。
そんな話ではありません。
誰かの未来を、自分の狭い物差しで終わらせることが問題なのです。
老害は、年齢だけで始まるものではない。
人の可能性を、自分の常識より小さく見積もったときに始まる。
僕はそう思います。
僕は、老害ではなく「老功」になりたい。
老害の反対は、若者ではありません。
僕は勝手に、老功と呼びたい。
年を重ねたからこそ、人の役に立てる人。
自分の経験を、上から振り下ろす棒ではなく、困った人へ渡す杖にできる人。
誰かの夢を笑うのではなく、
「どうすれば形になるだろう」
と一緒に考えられる人です。
老害は、若い芽を摘む。
老功は、芽が育つ場所を作る。
老害は、
「私の時代はこうだった」
と言う。
老功は、
「これから、どんな時代になると思う?」
と聞く。
僕は、そちらへ行きたい。
60歳になっても。
80歳になっても。
仮に100歳を超えても、
「そんなの無理だ」
と鼻で笑う老人ではなく、
「それ面白いね。もう少し聞かせて」
と前のめりになる老人でいたい。
入れ歯が飛びそうなくらい前のめりでも構いません。
これは、僕自身への注意書きです。
友人へ上から目線でコメントした人を叩きたいわけではありません。
親を責めたいわけでもありません。
一番見直したいのは、自分です。
自分の経験が増えるほど、答えを知った気になっていないか。
年下の話を聞く前から、採点していないか。
相手の未来より、自分の常識を守ろうとしていないか。
僕は、夢を実業に変えるプロモーターを名乗っています。
新しい実業を作りたい人を応援すると言っています。
それなのに夢の入口で腕を組み、
「まず私を納得させてみなさい」
と審査していたら、ただの面倒なおじさんです。
知らないうちに、誰かの芽を摘んでいた。
僕が怖いのは、それです。
もしこの記事を読んで、少し胸が痛くなったとしても、落ち込む必要はないと思います。
自分を振り返れるなら、まだ方向を変えられます。
僕もこれから、誰かの挑戦を聞いたとき、すぐに答えを出すのをやめます。
まずは一度、こう言いたい。
「それ、面白そうだね。もう少し聞かせて」
その一言で、誰かの未来が決まるとは思いません。
ただ、その一言がなければ、消えてしまう挑戦はあるかもしれない。
年を重ねることは、害になることではありません。
本当は、誰かへ渡せる知恵や経験が増えることです。
僕は、老害にならないだけでは足りない。
年を重ねるほど、誰かの可能性を増やせる「老功」になりたい。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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ドリームキラーには注意しないといけませんが、自分自身がドリームキラーにならないようにもしないといけませんね。
よしなりさん🌷『老功』っていいですね。人を応援できずいつも否定から始めるような『害』は年齢で一括りするものではないなとあらためて思います☺️